2022.03.10
2021.06.21
2020.02.17
北欧の高福祉の国フィンランドにおいて、国民に高度な教育システムを提供することは必須課題である。より多くの国民に高収入の仕事に就いてもらい、高い税金を納めてもらうことは国全体の利益になるからだ。
では、より多くの国民が高収入の仕事に就く為に、政府は進学率の向上を計り、生徒や学校同士に過酷な競争を強いているのかといえば、そうではない。
一年の半分が秋冬で、夏の白夜とは真逆に暗闇と寒さに襲われるこの国では、ただでさえ季節性の鬱(うつ)にかかりやすいため、国民はむしろ幼いうちから「燃え尽き症候群」にならないよう、温かく見守られて育てられている。
このような国では早期教育などもってのほかである。全国の6歳児に無料で提供される就学前教育の現場エシコウル(=プリスクール)では、生徒たちに教えられるのはアアコセット(=アルファベット)の大文字に、1から10までの数字やカレンダーと時計の読み方ぐらいだ。
フィンランド人の保育士は、あまり子供たちの遊びには介入せず、同僚との談笑も楽しみながら園児の安全の確保に目を光らせる。
プリスクールの児童たちに無償で配られる教科書。就学するまで一年かけアアコセット(アルファベット)の文字と1から10までの数字など、ごく基本的なことを学ぶ。
就学前教育の主な目的は、「生徒たちに小学校生活のリズムに慣れさせること」であり、生徒たちは授業中は自分の席に座り、発言する時には手を上げる習慣を身につける。プリスクールのみならず家庭でも、いよいよ小学一年生になった時に学習意欲が萎えてしまわないよう、大人は早期にいろいろ教えこまない。
保育園では朝ご飯が提供される。
プリスクールの朝礼では、日にちやお天気について話し合う。
筆者の長男のプリスクール時代には、日本であれば、ひらがなとカタカナの読み書きができていなければならない年頃だと焦り、「家で小文字を教えた方がいいですか?」「書き方だけでなく、読みかたも教えた方が良いですか?」などと聞いて、先生に笑われてしまったことがある。実際に、小学校での丁寧な国語の授業のお陰で、長男は入学して3ヶ月足らずで小文字も混ざった文章が一人で読めるようになった。
“形”を学んでいる算数の授業風景。
筆者の元夫もそうだが、一般的にフィンランド人の父親は、国と学校を信じて、教科の内容のあまり細かいことにはこだわらない。母親と交代で就寝前には本を読み聞かせ、学校の宿題も低学年の頃には見てやるが、勉強の中身よりも”勉強の仕方”を教授し、やがて手放しで子供に任せる。
フィンランドではヴァップ(=メーデー)の日に高学歴者が、卒業式で授与される角帽をかぶる風習があるため、「高等教育を受けて欲しい」と願うのが親として一般的だ。
しかし、将来やりたいことが決まっていれば、職業訓練校や応用大学(ポリテクニック)を経て、得意分野のエキスパートを目指すという道も開かれているので、子供が決めた道にはとやかく言わない。成人教育のシステムも確立されているので、より高度な学歴を身につけたければ、後からやり直すことも可能だからだ。
そして何よりも大事なのは、福祉の恩恵を享受するばかりでなく、きちんと働き自立した「クンノンカンサライネン(=きちんとした国民)」になってもらうこと。人をいじめたり、人種差別することなく、自分の行動には自分で責任を持つ”一人前の大人”に育て上げるのが親の使命なのだ。
文:靴家さちこ
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