幼少期に身につけたい「対話の基礎体力」とは? コミュニケーション教育が有効な理由

幼少期に身につけたい「対話の基礎体力」とは? コミュニケーション教育が有効な理由
先進国で国公立の大学に演劇学科がない国は日本だけと言われている。演劇教育は、子供たちの「非認知スキル」と、その能力と相関性があるとされる学力を総合的に鍛える教育方法とされている。文部科学省コミュニケーション教育推進会議委員の座長も務め、演劇教育に精力的に取り組まれている平田オリザさんにお話を伺った。

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「対話的な精神」とは
自分の意見が変わっていくことを
潔しとする態度

FQKids編集部:そもそも会話と対話は何が違うのでしょうか?

平田オリザさん(以下敬称略):英語では対話=ダイアローグ、会話=カンバーセーション。2つは異なる概念として扱われています。ところが日本語では区別が非常に曖昧です。私なりに定義したのが以下です。


会話=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。
対話=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその摺り合わせ。

 
平田オリザ:例えば、舞台上に父、母、娘、息子の4人家族がいたとします。家族同士の「会話」は続きますが、観客には必要な有益な情報がなかなかできてきません。お父さんの職業すらわかりません。そこで劇作家は舞台に「他者」を登場させるのです。つまり、演劇は他者を必要とし、「対話」の構造を要請するということです。

FQKids編集部:価値観が異なるときに起こるその摺り合わせとは?

平田オリザ:ディベート(対論)では、2つの論理が戦って、Aが勝てば、Bは自分の意見を変えてAに従わなければなりません。しかし、対話はAとBという異なる論理が擦り合わさり、Cという新しい概念を生み出します。Aも変わりますし、Bも変わります。両者ともに変わるということです。

FQKids編集部:日本人は議論やディベート、対話が苦手な民族です。

平田オリザ:日本では、最初に自分の言ったことから意見が変わると、嘘をついているような感覚や、敗北感が伴ってしまいがちです。「対話的な精神」とは、異なる価値観を持った人が出会うことで、自分の意見が変わっていくこと潔しとする態度です。

あるいは、むしろ異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見いだす態度だと言ってもいいでしょう。

FQKids編集部:自分の考えが変わっていくことに喜びを見いだす態度こそが対話の醍醐味ですね。

コミュニケーションのスキルよりも
幼少期に必要なのは
「対話の基礎体力」

平田オリザ:ヨーロッパで仕事をしていると、些細なことでもとにかくやたらと議論になります。日本人が海外でその才能を伸ばせないのは、この対話の時間に耐えられなかったのではないかと私は推測しています。

日本型のコミュニケーションに慣れてしまっていると、海外の対話の時間に耐えきれなくなって、「なんでわからないんだ」とキレるか、「どうせわからないだろう」と諦めてしまうか。

私はこの能力を「対話の基礎体力」と呼んでいます。異なる価値観と出会ったときに、物怖じせず、卑屈にも、尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。意見が変わることは恥ずかしいことではありません。

対話には新しい発見や出会いの喜びがあります。小中学校の先生方には、「対話のスキルは大学生になってからでも身につきますから、どうか子供たちにこの『対話の基礎体力』をつけてあげてください」とお願いしています。

演劇を通じた
コミュニケーション教育とは?

FQKids編集部:実際に学校では演劇を通じたコミュニケーション教育をどのように行っているのでしょうか。

平田オリザ:学芸会も少なくなり、教員自身も演劇の経験が減ってしまっています。そこで考えたのが次のような教材でした。

<教材の条件>

●教室でできる
●授業数3、4コマで完結する
●舞台装置、照明、音響、小道具、衣装は一切いらない
●全員が参加できる
●昨今の学芸会の1人1台詞のような悪平等にならない
●楽しい

<ストーリー>
スキットと呼ばれる3分ほどのテキストで、単純なストーリー。「朝の学校の教室で、子供たちがワイワイ騒いでいるところへ、先生が転校生を連れて登場。転校生が自己紹介する。生徒から転校生へいくつか質問する。先生は職員室へ戻る。生徒と転校生だけが残って会話が続く」

1時間目:配役を決めて演じてみる
2時間目:台詞を決める

●先生が来るまで何の話をするか
●転校生がどこからきたか
●どんな自己紹介をするか
●転校生にどんな質問をするか
●先生がいなくなったらどんな話をするか
3時間目:発表

 

子供たちから表現が出てくるのを
「待つ勇気」が必要

FQKids編集部:生徒たちにはどのように指導するのですか?

平田オリザ:「教えないでください」と全国を回ってモデル授業をしながら言い続けています。私が公教育の世界に入って一番驚いたのは、教師が教えすぎることでした。

連載の第1回目でお話しした「ケーキ」の話と一緒です。子供たちが「ケーキが食べたい」という前に、優しい親は子供の好物のケーキを出してしまうのですから、コミュニケーション力は養われません。

教師は、もうすぐ子供たちが素晴らしいアイデアにたどり着こうとする、その直前で結論を出してしまうのです。その方が教師は教えた気になります。対面も保てます。

しかも、その教え方というのも全国共通で「ヒント出そうか?」と言って、教師のやりたいことをヒントで教えてしまう。表現教育には、子供たちから表現が出てくるのを「待つ勇気」が必要です。親も同じです。

FQKids編集部:生徒たちはこの授業を通じてどのような学びを得ますか?

平田オリザ:「コミュニケーションへの慣れ」「フィクションを受ける」ことなどから、生徒たちは無意識に、自分の言葉という個性と、演じるべき役柄の個性を摺り合わせて行く作業を行います。

俳優の本当の仕事は、例えば「普段、私は見知らぬ人には話しかけられないけれども、話しかけるとしたらどんな自分だろうか?」と探ることです。俳優という個性と、演じるべき対象の役柄の共有できる部分を探し出して、それを広げていくという作業が求められます。

この考え方は、教育学の世界では注目をされていて、通常「シンパシーからエンパシーへ」と呼ばれるものです。日本語にすれば「同情から共感へ」「同一性から共有生へ」。

小中学校の総合的な学習の時間などで、いじめのロールプレイがよく行われていますが、いじめっ子の側にも他人から何かをされて嫌だった経験はあるはずです。それら2つの気持ちを「それは似たものなんだよ」と結びつけてあげるのです。

FQKids編集部:著書の『22世紀を見る君たちへ』では「未来は本当にわからない。だからこういう教育が必要ですとは言い切れない」と言われています。次回は、親は幼児期に子供にどのような環境を提供したら学力に結びつくのか、そのヒントをお話しいただきます。

PROFILE

平田オリザ
1962年東京生まれ。劇作家・演出家。芸術文化観光専門職大学学長。劇団「青年団」主宰。江原河畔劇場芸術総監督。こまばアゴラ劇場芸術総監督。1995年『東京ノート』での第39回岸田國士戯曲賞受賞をはじめ国内外で多数の賞を受賞。京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事、豊岡市文化政策担当参与など多彩に活動。

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文:脇谷美佳子

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