偏差値重視で「生きる力」は低下している!? 子供に本当に必要な“触れる教育”とは

偏差値重視で「生きる力」は低下している!? 子供に本当に必要な“触れる教育”とは
社会で求められている人材と、日本の教育の間にギャップが生じている。先進的な学校の取り組みを例に、子供の人生の可能性を広げる「教育」を考える。藻谷浩介の「里山資本主義的子育て」コラム。

社会で活躍できる人材と
学歴とが無関係である事実

筆者は地域振興の現場で、多く取り組みを支援している。実に様々な年齢の男女と協働しているが、お相手の学歴を確認したことがない。現場で役に立つ人、頭の回転が速く手がてきぱきと動く人、人との接し方が熟練した人、整理された指示を的確に出せる人というものは、一緒に動けばわかる。どこの学校で何を勉強したのかという情報は、誰に何がどの程度できるのかという判断にはまったく不要なのである。

だが最近、筆者の認識は、もう一段踏み込んで過激化してきた。筆者は冗談を込めて「教育浄土真宗」と言っているのだが、「偏差値の高い学校を出た人の中にも地頭のいい人は存在する。いわんや、偏差値の低い学校の卒業生においてをや」(いわゆる「偏差値」の低い学校を出た人の中にこそ、むしろ地頭のいい人が多い)という意見になってきたのだ。

これは悪人正機説として知られる親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」(万事満ち足りた善人でも極楽往生できるのに、悪人のようにみじめで仏様が哀れんでくださるであろう存在が、極楽往生できないはずがあろうか)のパロディーであるが、どちらも、意表を突きすぎて理解されにくいところがあるだろう。

しかし少なくとも「教育浄土真宗」の方には、ご自分の経験に照らしてご納得いただける方も多いのではないか。

そのような意見に傾いてきたのはあちこちで、高校生や大学関係者などにいろんなプロジェクトを行わせて発表させるという事業に、審査員や基調講演者の役回りで出ていることが大きい。

発表の出来(内容の深さおよびプレゼンの巧拙)において、職業高校の高校生>普通高校の高校生>大学生>エリート官僚>大学教授、という序列が、高い頻度で見えて来たのだ。

ずっと以前から大学の工学部では、普通高校から進学してきた学生よりも高等工業専門学校(高専)から3年次に編入してきた学生の方が優秀であるという現象が、普通にみられた。

最近はこの格差が、工業高校から進学してきた学生と普通高校から進学してきた学生の間にも見られる。最近人気の高まっている農学部でも、農業高校や林業高校からの進学者の方が優秀という傾向があるようだ。

同じく社会関係の諸学部でも、前回ご紹介した島根県隠岐の島の島前高校のように「地域課題解決型学習」を行っている高校を出た学生の方が、お受験校で漫然と受験科目を紙の上だけで勉強してきた学生よりも、存在感を発揮し始めている。そうした主体的に活動できる学生は、企業に求められるので就職実績も良い。

偏差値重視の教育に警笛
受験勉強よりも大切なこと

なぜそうなのか。1つのヒントを、先般筆者がコーディネートした、養老孟司氏(東京大学医学部名誉教授)と山極寿一氏(京都大学前総長)の対談の中で学んだ。

両氏とも超学歴エリートだが、前者は解剖や昆虫の形態研究、後者はサルの群れの社会的行動の研究と、言葉ではない世界をフィールドにして、そこから人間社会に対して深い洞察を行っている方々だ。偏差値重視のお受験教育を勝ち抜いてきた最近の学生の、理解力や生きる力の低下についても、それぞれ警鐘を鳴らされている。

養老先生によれば、人間の五感のうち、脳の知性や判断を司る部位に直結しているのは、視覚と聴覚だけでなくもう1つ、触覚もあるのだという。

手触りだけを頼りに完全な平面を削りだす職人がいるように、触覚は極めて精緻な感覚で、若いうちに色々なものに実際に触れて刺激を受けることは、脳の健全な発達に不可欠だというのだ。

なるほど、職業高校の学生の中に、普通高校の学生よりもよほど頭が良く見える人が多いように感じたのは、彼らがカリキュラムの中で様々なものに「触っている」ことも理由だったのかと、気付いた次第である。

他方で山極先生は、人間のような言葉を持たないゴリラのコミュニケーションにおいて、見つめ合って間合いを取ることや、体と体の一部を接触させることがいかに重要であるかを語られた。

課題解決型授業などでの、地域のフィールドに出ての経験は、多様な人との間合いの取り方の学習になる。人間なので言葉も使うが、ゴリラ同様にその場を共有する感覚を創り出しそこから言外のものまでをも学ぶ訓練が、若い感性を鍛えることだろう。

「生きる力」を高める
先進的な学校の取り組みとは?

多感な高校時代に、そのような経験を深める機会として筆者は、高校生が地域の課題をビジネスの手法を用いて解決していこうとする「ソーシャルビジネスプロジェクト」(以下SBP)を応援している。

SBPの先鞭となったモデルケースが、三重県多気町にある相可高等学校食物調理科が運営する、高校生レストラン「まごの店」だ。高校の調理クラブに所属する生徒たちが、自らプロになりきって切り盛りしており、土曜・日曜・祝日の営業時には、県内外から多くのお客さまが訪れている。数年前には、このレストランをモデルにしたドラマも放送された。

2013年には、三重県立南伊勢高等学校南勢校舎で最初のSBPクラブ活動が立ち上がり、地元産品の商品化や地域イベントへの参加を始めた。2017年には三重県伊勢市を本部に、一般社団法人未来の大人応援プロジェクトが設立され、毎年夏に全国の高校生が成果を発表し合う交流会を実施している。

私もボランティアで参加しているが、生徒たちの生き生きした姿や、堂々とした発表ぶりは驚くばかりだ。SBPを導入する学校は、過疎地にある廃校寸前の状態や、地域の底辺校と呼ばれることもある教育困難校など、悩みを抱えた学校が少なくない。

しかし、そこに参加した生徒たちは、じゅうぶん企業の一線で通用するレベルのものを持っている。地域資源を活かしてお金を稼ぐべく、トライアンドエラーを繰り返す中で、社会人として必要な基本的な礼儀作法はもちろん、チームで問題を解決する力を身につけていくからだ。

対して、偏差値のいい学校で学べることは、1人で紙に向き合って覚えたことを吐き出すという、実社会ではおよそ役立つ機会の少ないことに過ぎない。

それでも偏差値の方が大事だと考える親は、子供の人生を本当に考えているのだろうか。前にも述べたが、子供の人生を自分の見栄やコンプレックス克服のための道具にしてしまっているだけなのではないか。筆者は今日も地域の現場に立ちながら、本当に求められる人材と偏差値が高いだけの人材のギャップに、頭を抱えている。

PROFILE

藻谷浩介(KOUSUKE MOTANI)
株式会社日本総合研究所主席研究員。「平成の合併」前の3232市町村全て、海外90ヶ国を私費で訪問した経験を持つ。地域エコノミストとして地域の特性を多面的に把握し、地域振興について全国で講演や面談を実施。自治体や企業にアドバイス、コンサルティングを行っている。主な著書に、『観光立国の正体』(新潮新書)、『日本の大問題』(中央公論社)『里山資本主義』(KADOKAWA)など著書多数。お子さんが小さな頃は、「死ぬほど遊んだ」という良き父でもある。


FQ Kids VOL.05(2021年冬号)より転載

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