2023.10.06
2024.08.09
2020.10.04
想像してみてほしい。子供たちが、家族以外の人間と触れ合うことが禁止され、家の中だけで育たなければいけない社会を。外出が許されるのは1日1回の散歩のみ。途中で同世代の子供と出会っても、いっしょに遊ぶことは許されない。ある程度の年齢になれば幼稚園や小学校に所属することになるが、授業はすべてオンラインで行われる。
そんな社会で育った子供たちはそもそも「友達」や「仲間」という概念を知らない。砂場で一緒に穴を掘ったり、ときどき喧嘩をしたり、あめ玉を分けあったりという経験がまったくない。そんな状態では、「ワンピース」や「ドラえもん」を見ても、何が話のツボなのかを理解できないだろう。
大人がオンラインの仮想空間でも擬似的な友情を育めたり、擬似的な恋愛感情や絆を感じられたり、Zoom飲みでもそこそこ楽しめたりするのは、リアルな体験の記憶をもとにして、それを自分の中の拡張現実として利用することができるからだ。ベースとなる原体験がなければ、オンライン技術がどんなに発展しても、おそらく現在の社会で使われる意味での社会性を育むことは不可能だ。
想像は続く。そんな孤独な生活の中で唯一心が躍る瞬間があるとすれば、散歩の道すがら、道ばたに咲く名もない花のかわいらしさに気付いたときや、ムシなどの小動物に出会ったときだろう。雨の日には草木の喜びを感じることができる。嵐の日には自分たちの無力さを感じることができる。
ディストピアのような社会にあっても、自然さえ近くにあれば子供たちは何かを感じとることができる。文字通り、「国破れて山河あり」である。
さて、想像をやめて現実を見てみよう。これが新型コロナウイルスの出現以降、世界中の人たちが経験した生活だ。右記から2つのことが言える。
1つは、こんな状況のなかでも、近くに自然さえあれば、子供たちは多くを学ぶことができるということ。親が意図的に作り出す学びの機会とは桁違いの刺激となる。その原体験があることで、あとから学校で学ぶ知識が、単に脳に収納される文字情報ではなく、実感を伴う生きた情報として身体に染み込みやすくなる。それがそのまま「生きる力」になる。
もう1つ言えることは、こんな状況が長く続けば、人類が社会的な生き物で居続けることは不可能だということ。人間は集団を形成することで、種としての生存競争を生き抜いてきた。それが人類の生存戦略だった。しかしそれが通用しなくなるのだとしたら結論は明白だ。種の絶滅である。社会性が未発達なまま成長した“大人”たちが“社会”を担うようになれば、早晩大規模な諍いが起こり、人類は自滅する。
つまり、子供たちのふれあいを禁止するような社会に未来はない。子供たちが友達とたくさんの時間を過ごし、喧嘩も仲直りも経験できるような環境を守ることを第一に考えることが、「withコロナ」時代の社会のあり方の土台とならなければいけない。逆に言えば、コロナ禍にあっても、学校や公園といった子供たちの笑い声が聞こえる場所を極力リアルな形で維持存続できる社会が、生き残るということだ。
以上は「おまけ」である。本稿のもともとのお題は、コロナ禍で外出や人との接触が制限されるような状況が続いたとしても、子供たちの主体性や好奇心を伸ばすためにはどうしたらいいのかであった。
しかしそれは、たった3畳分の独房の中でも健康維持する方法を考えろというような問いと同じだ。どんなにやっても限界があるのだが、やらないよりはやったほうがましということなら、専門家に聞くまでもなく、素人だっていくつでも挙げることはできる。「健康でありたい」という願いさえあれば。
同様に、子供の主体性や好奇心を伸ばしたいという願いさえもって子供に接していれば、やらないよりはやったほうがいいことは、いくらでも思いつくはずだ。ひとに教えてもらうのではなく、自分で考えることこそ、わが子に自分の頭で考えられるひとに育ってほしい親が子供に対して示すべき態度であろう。
これだけだと原稿用紙1枚も要らずに終わってしまうので、「おまけ」を書いた。そして「おまけ」のほうが重要である。わが子だけでなく、わが子と共に未来の社会を担う子供たち全体のことまで考える視野を親たちみんながもたなければ、わが子の未来もないのである。
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
育児・教育ジャーナリスト。株式会社リクルートを脱サラ・独立後、男性の育児、夫婦のパートナーシップ、子供のしつけなどについて執筆や講演を行っている。著書に『世界7大教育法から学ぶ才能あふれる子の育て方』『21世紀の「男の子」の親たちへ』など。
FQ Kids VOL.03(2020年夏号)より転載
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