「自分に何ができるのか?」を考えられる子に。親子で話したい、権利やLGBTQのこと

「自分に何ができるのか?」を考えられる子に。親子で話したい、権利やLGBTQのこと
LGBTQから考える、今当たり前にある権利の裏にあるものとは? 教育者・鶴岡そらやすさんが語る、より良い世界を作っていくために親子で話し合うべきこと。

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メイン画像:©Iryna Imago/Shutterstock.com

誰もがセクシャリティを
公にできるわけではない

私は現在「トランスジェンダーである」と公言して生活している。女性のパートナーがいて「この人が私のパートナーです」と紹介することもできる。雑誌にコラムを書き、学校や企業に呼ばれ講演会で自分の経験を話している。

しかし、こんな私も自分のセクシャリティに悩み、隠していた時期がある。自分が女性の体で生まれてきたことを心底嫌だと思ったことも「男に生まれていたらよかったのに」と泣いた日もある。女性を好きになってお付き合いしても、周りには「友達」として紹介していた頃がある。

私は今、運よく悩んでいないだけで、セクシャリティについて、今まさに悩んでいる人たちがいる。

理解されつつある中にも
存在するマイノリティ感

まだまだ解決すべき問題はなくなってはいないが、LGBTQに対しての認知度は格段に上がり、課題の解決に向けた動きは少しずつ広がっている。自治体や企業における同性パートナーシップ制度の広がりや、性別適合手術の保険適用、学校の制服の選択が可能になるなど、一昔前では考えられなかった支援や制度、設備が導入され始めている。

さらにインターネット、SNSの普及によって、情報の入手も容易になった。セクシャリティに悩む子供たちが「悩んでいるのは自分だけじゃない」と知ることもできるようになった(もちろん、正確ではない情報や偏った情報、否定的な意見にももれなく触れることになるので、諸刃の剣でもあるけれど)。

私が子供の頃は、まだインターネットなどというものは普及しておらず、LGBTQについての情報を入手することは困難だった。(近所の書店に置かれていた「薔薇族」というゲイ向け雑誌の表紙を目にした時の衝撃は今でも覚えている。見てはいけないものを見たような気がして、手に取ることはできなかったが)

レズビアン向けの雑誌はなかったし、トランスジェンダーについての情報なんてもっとなかった。自分が何者で、何に悩んでいるのかもわからない。でも、何かが違うと感じていた。そんな子供時代だった。

初めてLGBTQの世界に実際に触れたのは「新宿二丁目」という街である。いつどこで何から耳にしたかは覚えていないが、セクシャルマイノリティの人たちが集まる「新宿二丁目」という場所があるということは知っていた。

いつか行ってみたいと思っていた私は、大学生の時初めて二丁目に足を踏み入れ、そして初めてレズビアンバーに入った。そこで「自分はレズビアンです」と何の躊躇もなく言う人たちと出会った。大袈裟に聞こえるかもしれないが、初めて自分がこの世に存在することを許された気がしたのを、今でも覚えている。

イベント化することで
身近に感じられる環境へ

「二丁目」に行くようになった私は友達も増え、イベントにも参加するようになった。当時は毎週のようにさまざまなイベントが開催されていた。たくさんの人が集まって、レズビアンやゲイやトランスジェンダーである自分を隠さずに生きていた。

ただ、それはあくまでも「二丁目」という特別な場所だからできることであり、いわゆる日常に戻ってもそのままの自分でいられるわけではなかった。私の中で「二丁目」は、日常とはかけ離れた異世界のような、特別な場所だった。

私がその異世界からもう一歩踏み出した、と感じたのは2001年に参加した「東京レズビアン&ゲイパレード」というイベントだった。当時まだ20代だった自分にとって、安全な場所である「二丁目」を出て、日常世界である代々木公園から渋谷の街を、セクシャルマイノリティの1人として歩く、というのは挑戦だった。

でも、そこに集まったたくさんの友人や、同じように普段はきっと自分を隠しているであろう人たち、そして沿道から手を振ってくれた見知らぬ人の存在は、私にとって「自分が自分でいることを許す」ためのエネルギーとなった。

このイベントは、「東京プライドパレード」、そして「東京レインボープライド」と名称を変え、何度も中断しながら形を変えて継続されてきた。今年4月には、3年ぶりに代々木公園で「プライドパレード&プライドフェスティバル」として開催された。

私もパートナーと一緒に久しぶりに足を運んだが、さまざまな大手企業のブースが並んでいたのには驚いた。個人的には、久しぶりに会えた友人もいたし、知人がブースを出したりもしていて、楽しく参加できた。

会場にはさまざまなセクシャリティの人たちがいた。仲良く手を繋いで歩くカップル、赤ちゃんをベビーカーに乗せて楽しそうにしている家族、久しぶりに会ったのだろう、友達同士で盛り上がっているグループもいた。

何でもありの「お祭り」のような感じだった(公式発表によると、フェスティバルののべ動員数は約6万7000人だったそうだ。このコロナ禍でリアル開催するのは相当大変だったことだろう)。

成り立ちやルーツを調べて
親子で話し合うきっかけに

こういったイベントが開かれると、必ず賛否両論が巻き起こる。誰でも気軽に参加して楽しめるのがいい、という人もいれば、ただ楽しいだけのイベントにしてはいけないのだ、という意見も出てくる。商業化しているのではないかと苦言を呈する人もいる。参加できて救われた、という人もいる。

元々、「プライドパレード」は、1970年のアメリカで、ゲイ解放運動、セクシャルマイノリティの人権獲得運動として始まったものだ。それが世界中に広がって、日本では1994年に「第1回レズビアン&ゲイパレード」として開催された。最初は、100人程度の行進だったそうだ。それが今では約6万7000人にまで広がった。

これは、LGBTQを可視化して問題に気づいてもらい、考えてもらうきっかけにしていくために、誰でも気軽に参加できるような、楽しいお祭りとして盛り上げていったおかげでもある。しかし、元々はセクシャルマイノリティが抱えてきた課題の解決、人権を守るための運動だということも忘れてはならないと思う。

もちろんこれはLGBTQに限った話ではない。今私たちが当たり前に手にしている権利の裏には、命をかけて道を切り拓き、不当な仕打ちに怒り、声を上げ行動し、権利を手に入れてくれた先人たちの存在がある。既に権利を手に入れた私たちはそのことをつい忘れてしまうが、この権利は当たり前のものではないのだ。

そして今もまだ残されている課題はある。このまま次の世代の課題として残すのか、それとも次の世代にとって当たり前の権利になるのかは、今を生きている私たちの手に委ねられている。

現在、全国各地、世界中で、平和や人権に関わるさまざまなイベントが行われている。機会があったら子供と一緒にイベントに参加していただきたい。子供たちは何を感じ、考えるだろうか。

イベントを楽しんだ後は、単に「楽しかった」で終わらせるのではなく、ほんの少しでいいから歴史と背景を頭の片隅に置いて、親子で話をしてほしい。みんなが楽しく生きる世界を作っていくためには、自分に何ができるのかを考えるきっかけにしてみてはいかがだろうか。子供たちの見る世界が、広がっていくはずである。

PROFILE

鶴岡そらやす

合同会社Be Brave代表。幼少期を父子家庭で育つ。公立小・中学校で教員として15年勤務し退職。授業をしない自立型学習塾を経営。生徒自身に気づきを促すコーチング力で、主体的に学ぶ姿勢を持った子供たちを育成。2018年、自身がトランスジェンダーであることを公表。企業向け講演や研修、LGBTや不登校などの保護者向けセミナーを行う。著書に「きみは世界でただひとり おやこで話すはじめてのLGBTs」(日本能率協会マネジメントセンター)がある。
Amebaブログ:profile.ameba.jp/ameba/soranyasu

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FQKids VOL.12(2022年秋号)より転載

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