2021.08.26
2023.06.28
2020.08.07
個体発生は系統発生をくり返すという。母親の胎内で胎児がまるで生命の進化をなぞるかのように発達するということだ。しかし、おぎゃーとこの世にうまれでてからも、進化の足跡をたどっているように見える。
幼児のころは、類人猿から原始人にかけての時代。小学生くらいになると古代人、中学生・高校生は中世から近代の人々、大学生あるいは社会人になって初めて現代人となる。
類人猿から原始人にかけてのころの人間は、現在の森の動物たちとほとんど同じ生活をしていたはずだ。文字をもたず、アイコンタクトやしぐさあるいは音楽やダンスといった形でコミュニケーションをとっていたと考えられる。これらは人類の知的活動の礎だといえる。
ちなみに世界的に有名な教育法の1つであるシュタイナー教育では、7歳までは極力文字や数字を教えない。幼児期に焦って文字や数字を教えると、本来その時期に築いておくべき人間としての礎が不十分なまま次の段階に進むことになってしまうと考えられている。
言葉にはならないものを感じて表現する能力。まさに「センス」である。センスのいい人と悪い人がいるのだとしたら、その差はおそらく、幼児にどれだけ感覚を磨けていたかではないかと私は思う。
子供はさまざまな刺激を通して自分の頭のなかに宇宙に関する情報をインプットしていく。
子供を森に放てば、たとえば水たまりを見つけて、そこで泥んこになって遊ぶ。水を含んだ土が、どれくらい黒く輝いて見えるのか、どれくらい冷たいのか、どれくらい柔らかいのか、どれくらい重いのか、どんな匂いがするのか、どんな舌触りなのか、投げた泥ダンゴが弾けるときにどんな音がするのか……、膨大な情報を脳にインプットする。十分なインプットが得られるまで何度でも何時間でも飽きずにやる。いわゆる「夢中」の状態だ。
このとき、おそらく子供の目は爛々と輝き、体中がプルッと躍動しているはずだ。子供が猛烈に何かを学んでいるときに発するサインだ。大人にはどんなにくだらないことに見えても、子供が何かに夢中になって猛烈に学んでいるときにはそれを邪魔せず、じっと見守るといい。これが学びの原体験になる。
もしそのとき近くに自分の大好きな大人がいれば、子供は必ずそちらをちらっと見る。「ねぇ、見て、すごいでしょ!」と言わんばかりの表情で。その瞬間を見逃してはいけない。子供とおんなじように「うわぁ、すごい!」という表情をしてあげてほしい。そうすると子供は、自分の感動を肯定的にとらえられる。好奇心にドライブがかかる。
こういう経験が豊かなら、古代人、中世人、現代人と進化しても同じように夢中になって学び続けられる体質が育つ。逆に、せっかく夢中になっていることに口を出され邪魔されることが多いと、子どもは学ぶ意欲を失う。
森の中には子供がインプットすべき情報が満載だ。土、草木、小動物など、無限の情報が子供を刺激する。人工物で囲まれた世界とはその量が桁違いに違うから、次から次へと好奇心が刺激され、時間を忘れ、子供は知らず知らずのうちに多くを学ぶ。センスのいい子が育つ。
森に分け入り、目をキラキラと輝かせ体をプルッと振るわせる子供をよく見ていると、もう一ついいことがある。子供を見る親の目が育つのだ。幼児期を過ぎて思春期になっても「あっ、いま目を輝かせた!」「あっ、いまプルッとした!」ということがわかるようになる。それがその子の進むべき道を指し示す目印となる。
その目印が指し示す方向と子供が向かおうとしている方向が同じかどうかだけを、親は見ていればいい。それが一致している限り、子供は決してねじ曲がらない。私はそう思う。
おおたとしまさ(TOSHIMASA OTA)
育児・教育ジャーナリスト。株式会社リクルートを脱サラ・独立後、男性の育児、夫婦のパートナーシップ、子供のしつけなどについて執筆や講演を行っている。著書に『世界7大教育法から学ぶ才能あふれる子の育て方』『21世紀の「男の子」の親たちへ』など。
FQ Kids VOL.02(2020年春号)より転載
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