2022.08.01
2021.04.18
2022.01.19
子供の性教育をどうすればいいのか。それを考えるには「性教育の目的をどう定めるか」が大切です。昨今は不安を煽り立てることが目的となった言語道断に御粗末な状況です。日本は20年ほど前から性的退却が進みました。性愛経験率は、男子が1996年頃、女子は2000年頃がピークで、そこから急に下がり、大学生女子の性愛体験率は7割弱だったのが今は36〜37%。起点は日本会議系による先進国標準の性教育に対するバッシングです。
妊娠の不安・性感染症の不安・将来を棒にふる不安を、煽り立てる不安教育に性教育が堕落した結果、カレシやカノジョが出来るとスクールカーストが2段落ちするようになり、中学や高校では共学でも別学のようになりました。
女集団では男と話すと「ビッチ」と言われ、男集団では女と話すと「デレデレしやがって」と言われ、若い男女が親しくなれません。少子化の原因は周知の通り未婚化と晩婚化です。その最も重大な背景は男女が絆を結べないこと。原因は日本会議的な性教育です。
巷では貧困化が原因だと言われますが、金がないと結婚できない傾向は、むしろ「愛より金」を志向する関係の貧しさを物語ります。日本以外の国では逆に、金がないからこそ、「それでも愛で幸せになれるから」「2人で家計をシェアできるから」結婚します。
行政の婚活支援で結婚しても3分の1が離婚します。実りある関係を結べないからです。日本会議的な性教育を続けるのは亡国の営みです。性的・恋愛的な関心から利他的に振る舞う方法を教え、その中で避妊と感染症予防を教える先進国標準の性教育が必要です。
2010年代に性愛ワークショップを繰り返しました。性的・恋愛的な関心から仲良くなる方法を指南するものです。そこにも2つの方向があります。性愛を楽しむことを目標にする方向と、愛による絆を作ることを目標にする方向。どちらが大切かは価値観の問題です。
僕のスキルでは、日本会議的な不安教育もできるし、ナンパの仕方も教えられるし、愛による絆の作り方も指南できますが、性的退却や少子化の過酷さに鑑みれば、愛の絆で結ばれる関係を目標にするべきだと思います。現にそうした実践を重ねてきています。
90年代前半から半ばまで高校生女子の援助交際が流行りました。背景は80年代の性的進出です。この時期に女子の性体験率は倍に増えました。ただし解放されたから援交したのではない。男子がダメすぎて、女子にとってデートや性交が楽しくなかったからです。
95年から「アダルトチルドレン」(親の前で「良い子」を演じ続けて大人になった人たち)を自称する若者が増えました。並行して援交する高校生女子の質が変わります。当初は、同級生が憧れるようなイケている感じの女子が多かったのが、援交がリーダー層からフォロワー層に伝播したので見た目が地味な自傷系女子にシフトしました。
それを背景に性的にアクティブだと「イタいやつ」と言われるようになりました。本来ならそこで先進国標準の性教育が必要なのに、逆に日本会議系による性教育バッシングが全国的に拡大して性的退却が決定づけられました。そこから摂理を汲み取れます。
80年代には性愛が誰にでも開かれました。するとスキルがなくてどうしていいか分からない人や性愛の価値観がなくて漠然と関わる人が増えます。性愛の大衆化は性愛の劣化を意味しがちで、だから性愛に積極的に関わるための構えを教える性教育が必要なのです。
ただしかつての日本では必要ありませんでした。古くは男若衆宿と女若衆宿で、80年代までは部活やサークルの先輩後輩関係で、性愛に積極的に関わるための構えが伝承されたからです。今はそれがなくなったので人工的に伝承するしかなくなったのです。
人工的な伝承線の確保がなされなかった結果どうなったか。リサーチから分かるのは、性交が良いものだと感じられない女子経験者の増大です。性交は男子を喜ばせるために我慢する作業に過ぎないという女子だらけになりました。
そうなった理由は男子の目標混乱にあります。女子と性交することだけに目標を置き、性交で女子を幸せにするという目標を置けない状態です。人を幸せにするのに必要な“なりきり”ができず、女子からするとホスピタリティのない男子だらけになりました。
この状況を打破するには今は性教育しかありません。なのに日本の性教育は避妊教育と日本会議的な不安教育に終始しています。欧米では90年代に入る前から学校にコンドーム自販機が置かれ、あるべき性愛の価値観の獲得を目標とする性教育をしてきています。
それもあって欧米にはデートカルチャーが伝承されています。例えばアメリカでは高校の最後に開かれるプロム(プロムナード)というフォーマルなダンスパーティーがあります。好きな相手がいれば声を掛け、ダンスをした後に2人きりでどこかへ行く。
またスウェーデンは女子の部屋に男子を呼ぶ古くからの妻問婚的な伝統を意識的に保存しています。フランスやイタリアやスペインには男子が女子に人目がある所で声をかける社交の伝統があります。これらに加えて性教育があるので性的退却も少子化の問題もない。
日本は性的退却と少子化に苦しみます。伝統の切断と御粗末な性教育が理由です。昔の村では15歳以前に性交しました。13歳を性交可能年齢とする刑法に反映されています。それが共同体空洞化で伝承線が途絶え、中高生を性愛から遠ざける不安教育が残りました。
恋愛は損得勘定を超えて相手に“なりきる”感情を育てる大切な機会です。なのに性愛の幸せを見ると嫉妬するような性愛の幸せから見放されたクズが、性愛に積極的に関わる構えを教える性教育を禁圧してきています。かくてクズの拡大再生産が生じているのです。
性教育は不安による脅しではなく、性愛を通じて利他性を育むことに目標を置くべきです。
宮台真司(SHINJI MIYADAI)
1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)など著作多数。
FQ Kids VOL.06(2021年春号)より転載
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