2021.04.12
2022.07.16
2021.05.29
パンデミックでリモートワークやワーケーションを経験して、「そろそろ子供を連れて2拠点生活をしてみようかな?」と考えている人もいるのでは。解剖学者の養老孟司さんも、人は「参勤交代」のように、都市部と自然豊かな地方を行き来して暮らすのがいいとおっしゃっています。
都心には美術館や博物館がたくさんあるし、テーマパークも近い。地方には山や川や、生き物がいっぱいで、水も空気も美味しい。それぞれにいいところがありますよね。
特に子供は、自然に触れて、手足から直接世界に関する情報を入力することが大事です。文字や映像で見る自然と、触れる自然とは、全くの別物。普段は都会で習い事に忙しい子供達にとっては、時間を忘れて野山で遊んだり、退屈だなあと砂をいじりながらぼーっと海を眺めたりすることが脳の栄養になるはずです。
2拠点生活で環境が変わるということも大事ですが、立場が変わるということも、いい経験ではないかと思います。大人だって、住み慣れた都市部で暮らしているときと、知り合いのいない地方で過ごすときは、気持ちが違いますよね。
もしかしたら、都会の仲間内では華やかな存在として注目されているのに、地方では誰にも知られていなくて、物足りなく感じることもあるかもしれません。この「そうではない自分」になる場所を持つことが肝心なのです。
自然が豊かな場所でも、有名なリゾート地で都会の仲間たちと過ごすのでは、単なるいつもの暮らしの延長になってしまいます。都会の暮らしは、持ち込まない。立場が変われば、新しい自分と出会えるし、新しい自分と出会えれば、世界の見え方が変わります。
2拠点生活の豊かさは、一度の人生で、全く違う人生を生きることができること。だからなるべく、普段の暮らしとは全然立場が変わってしまうような場所を選ぶことをお勧めします。
というのは、私自身、それでとても大きな発見があったからなのです。2014年に、小学生だった2人の息子たちと、仕事をやめた夫は、生活の拠点をオーストラリア・パースに移しました。一家を支える私は、日本に一人暮らしの部屋を借りて、子供達が小さいうちはこまめに日豪を行ったり来たりしていました。
息子たちと夫は、新天地で0から全く新しい生活を築いていきましたが、私は行ったり来たりで、日本でもオーストラリアでも仮暮らしという感覚でした。どこにも本拠地がないなあという、寄る辺ない気持ち。ちょっとあの世から自分を眺めているような、浮遊霊目線です。
海外移住というと華やかなイメージを持つかもしれませんが、長期移住は移民第一世代のようなものですから、生半可なことではありません。行った先の国では最も弱い立場に置かれ、元いた国での人脈やキャリアは何の役にも立たないのです。まさに、人生リセットです。
それでも息子たちや夫は、ずっとパースにいるので少しずつ居場所ができていきます。友達や馴染みのお店ができ、土地勘も身に付いて、言葉も上達し、数年たてば「ここがホームだ」と思える様になります。
だから彼らと浮遊霊の私は、ちょっと違う世界を生きているのです。私は日本の自分とオーストラリアでの自分とで完全に分裂していて、しかもどっちも仮住まい。日に日にオージーライフに馴染んでいく息子たちや夫とは、見えている景色が全然違って、ちょっと寂しいけど面白いです。
そして引っ越して何が良かったって、息子たちにとって、私と夫が「無力な親」になったこと。日本で暮らしていた時、息子たちは東京都心の広い集合住宅に住んでいて、親は少し名前が知られており、地元の公立小学校では友達が「お前の母さんテレビで見たぞ」と言うため、うちはなんか目立つのかなという感覚があったかもしれません。
でもオーストラリアでは、知り合いゼロ、親戚ゼロ、言葉が通じず、親は全くの無名で、現地では無職。言葉だって不自由です。家は郊外の古い借家で、贅沢もできません。でも息子たちは、それをとても気に入った様でした。もう誰も「お前の母さんテレビに出てたぞ」などと言いませんから。
息子たちはみるみる英語が上達し、親を助けてくれるようになりました。その頃から、彼らの顔つきが変わりました。大人の力を借りずに、言葉の通じない環境で0から人間関係を築いた自信が、表情に表れたのです。それを見た時、ああ本当に引っ越して良かったなあと思いました。
一方私は、慣れ親しんだ日本での暮らしと外国での超マイノリティとしての暮らしの両方を知ることで、それまでは見えていなかった人が見える様になりました。日本で働く外国人の人々をとても身近に感じるようになったのです。コンビニのレジやスーパーの棚の補充などをしている人を、それまではさほど意識することはありませんでした。それが、「この人は、私だ」と思うようになりました。
もしも自分がオーストラリアで働こうとしたら、日本でのキャリアなんて何の役にも立たない上に、英語も不慣れなので、コンビニのレジだっておぼつかないはずです。日本語で業務をキビキビとこなしている人たちがどれほど優秀か、初めてわかりました。立場が変わらなければ、それがどれほど大変なことかは、ずっと気付けなかったでしょう。
場所を変え、立場を変え、人生はああもこうも生きられると知ること。世界がいくつもの顔を持つと知ること。2拠点生活の豊かさはそんなところにあるんじゃないかと思います。
小島慶子(こじま・けいこ)
エッセイスト、タレント。東京大学大学院情報学環客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所特別研究員、NPO法人キッズドアアドバイザー。1995年TBS入社。アナウンサーとして多くのテレビ、ラジオ番組に出演。2010年に独立。現在は、メディア出演・講演・執筆など幅広く活動。夫と息子たちが暮らすオーストラリアと日本とを行き来する生活を送る。著書『曼荼羅家族』(光文社)、他多数。
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