2023.07.20
2021.11.02
2020.03.23
“日本でもっとも有名な狂言師”と表現しても過言ではないのが、野村萬斎さんだ。話題作に出演し、怪演で観客を惹きつけたかと思えば、子供向けの番組ではファニーな衣装とステップを披露。多彩な表現をもって幅広い人々を魅了する、狂言師の枠をはるかに超えた人物だろう。
由緒ある狂言一家に生まれ、人並み外れた才能にも恵まれている萬斎さんだが、子育てにおいては多くのパパと同じように苦慮することもあった。
例えば、接し方に悩むことが増える、反抗期や思春期。当時について、萬斎さんはこう振り返る。
「子供が人に迷惑をかけるようなことをしたので、有無を言わせず叱ってしまったことがありました。ただ、あとから“なぜ叱ったのか、その場できちんと伝えるべきだったかも”と、反省しましたね」。
また、反抗期や思春期は、言葉で正論を伝えても響かない場合が多々ある時期。どう接するべきかと悩みつつも、萬斎さんはこんな心がけをしていたという。
「理屈をもって正そうとすればするほど、子供は心を閉ざしていきます。このことに気がついてからは、なるべく口出しは控え、子供が自ら悟るまで待つようになりました。時にはどんと構え、放っておくことも必要なのかもしれません」。
なるべく口出しをしないという姿勢は、人として魅力的に生きていく力を育むことにもつながるようだ。
「食事のマナーひとつにしても、教えるのは最低限のこと。本来マナーは、食事を楽しむためにつくられたものです。マナーでガチガチに縛りつけた結果、食卓が殺伐としてしまったら本末転倒でしょう。なので、ある程度のマナーを教えたら、あとはそれを生かして、自分自身が食事を楽しむ姿を見せるようにしていました」。
マナーや型は、自身の内面を表現し発散するための方法論であり、より魅力的に生きていくためのもの。マナーや型を生かして、魅力的で豊かな人間性を育むことに徹したい。一つ一つの言葉やエピソードから、子育てにおけるそんな信念が垣間見られた。
狂言師として積極的に新作狂言や海外公演に取り組むほか、映画やドラマ、現代劇にも出演する萬斎さん。こうした経験から培われた芸能に関する幅広い見識は、各所で評価されている。
萬斎さんが、「2020年東京五輪・パラリンピック」の開閉会式の演出において、総合統括責任者という大役を任されていることをご存じの方も多いだろう。「2020年東京五輪・パラリンピック」の式典のコンセプトは、「平和」「共生」「復興」などだ。
これらのコンセプトのもと、演出に取り組んでいる萬斎さんは、社会に起きつつあるムーブメントを肌身で感じているようだ。
「多種多様な人々がともに暮らせることが、社会の大きなニーズになりつつあると感じています。それぞれに個性と役割があるということ、そしてお互いに認めあうことが、今後さらに重視されると思います」。
萬斎さんは幼い頃より、日常的に芸能の世界に触れてきた。一つの舞台をつくり上げるためには、役者はもちろん、演出家、舞台監督、照明技師やヘアメイクなど、さまざまな個性や能力をもつ人々の協力が必要だ。そうした経験から、多彩な個性が存在することの重要性は、身に沁みているよう。
「芸能という小さな“社会”に、さまざまな個性や能力をもつ人が必要であるように、現実の社会においても、多様な人々の存在が必要です。当然ですが、誰もが一人では生きられません。自分ならではのポジションを確立しながらも、相手を尊重するのが大切なのだと思います」。
子育てへの考え方にも、こうした概念がたしかに反映されている。
「例えば、かけっこが苦手な子がいるとします。かけっこが遅いからといって叱咤激励するのではなく、その子が別のシーンで胸を張れるよう、導くのが親や先生の役目でしょう。それぞれの個性や能力を認め、きちんと評価してあげてほしいですね」。
「ただし、個性を重んじるばかりに、自由教育に頼りすぎるのはいかがなものかと思います」。こう、萬斎さんは続ける。この見解の背景には、狂言師一家に生まれ育った萬斎さんならではのエピソードと思いが見え隠れする。
「狂言を演じるためには、まずは『型』を身につけなくてはなりません。この『型』は、はるか昔から受け継がれてきた伝統的なものであり、才能を引き出すための“方法論”でもあります。『型』を身につけることで、演じる人の才能が目を覚まし、そして開花する。つまり、子供の才能や能力を引き出すためには、まずはある程度型にはめ、方法論を教えることも大切だと考えています」。
萬斎さん自身も、父である万作さんの指導のもと「型」を習得した経験をもつ。立ち姿や歩き方といった基本姿勢から、しぐさや発声方法にいたるまで、狂言にはいくつもの「型」が存在するが、稽古を繰り返すことで体に叩き込んだのだ。
ごく幼い時分より、こうした厳しい稽古に自主的に取り組むのはほぼ不可能。鍛錬の日々は、ご自身以外の人々の努力と意思もあったからこそ成り立ったといえるが、萬斎さんはこの経験に感謝しているようだ。
「僕は、狂言の『型』を身につけることを“プログラミング”と呼んでいます。“プログラミング”をとおして身につけた“機能”、つまり狂言における多彩な表現方法を得たからこそ、独自の身体表現ができるようになったと思っています。僕ならではの身体表現を目にし、観客の方々が喜んでくださる瞬間、いつも『“機能”が備わっていて、本当によかった』と思うんです」。
また、“プログラミング”や“機能”のあり方についても、ユニークな例えを交えながらこう説明してくれた。
「子供に漫然と“プログラミング”をほどこした場合、言いかえると知識や技術を教え込んだ場合、まるでサイボーグのような存在になってしまう可能性があります。意思も意欲ももたず、戦うことでしか自分の存在意義を見出せない哀れな人間です。そんな悲しい結末を避けるためにも、“プログラミング”をしつつも、自主性を育んであげるといいと思います。身につけた“機能”をどう使うかは、子供の自由なのですから」。
文:緒方佳子
写真:松尾夏樹(大川直人写真事務所)
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