2021.06.05
2022.07.16
2022.01.26
13歳(当時)でオリンピック新種目のチャンピオンになった西矢選手。東京オリンピックについて「優勝は狙っていませんでした」と振り返る。
「試合前から、最後まで楽しく滑り切ることだけを考えていました。試合中のことは夢中でほとんど何も覚えていませんが、4回目のトリックは挑戦したい技だったので、決まった時は純粋に嬉しかったです。やりたい技が成功して最後に逆転で金メダルを取れて、オリンピックを通して諦めない気持ちをもつ大切さを学んだと思います」。
そんな西矢選手とスケボーの出会いは6歳の時。2歳上の兄が公園で滑る姿をみて「かっこいい! 自分もやりたい」と思い、始めたという。
「始めたての頃にムラサキスポーツが開催したスケボーイベントに参加したり、そのあとも父がインスタなどで見つけてくれた技を練習したりしながら上達していきました。難しい技に挑戦してもすぐにはできないのでいっぱい練習して、気づいたらもうスケボーに夢中になっていた気がします。父も母も、自分が好きなことをいつも応援してくれて嬉しいです」。
夢中で“遊んで”いるうちに、あっという間に世界のトップまで駆け上がった西矢選手。スケボーのどんなところが好きかを聞いてみた。
「一番は、言葉が話せなくても海外のみんなと仲良くなれるところです。競技としてよりは“遊びの延長”のような感覚に近いです。自分の武器はスケボーを楽しんでいるというところで、好きだからいっぱい滑るし、いっぱい滑るからうまくなったのかなと思います。だからつらいとか嫌いと思ったことは一度もないんです」。
“楽しいから滑っている”というスタンスのため、世界で渡り合うトップ選手たちにもライバル意識というものはない。
「私には競争意識はあまりありません。他の選手が難しい技をメイクしたらすごいなって思うし、自分が成功してみんなが褒めてくれるのも嬉しい。私自身は勝ち負けよりも自分らしく楽しく滑ることを目標にやっています」。
こんな風に世界中を転戦しながらも、普段の顔はあどけなさの残る中学2年生。普段の学生生活について教えてくれた。
「オリンピックでは諦めなくてよかったと思っていますが、学校の勉強は諦めることもあります(笑)。勉強も大事ですが、やっぱり友達と遊ぶことが好きです。スケボーの練習が無い放課後や休みの日に、みんなでツーバンっていうボール遊びをしたりして遊んでいます。友達にスケボーを教えてと言われたことはなく、普通の遊びをしています」。
そんな14歳は身体的にも成長期のど真ん中。技のできを競う競技では、バランス感覚や体の軸が変わることで、小さい頃にできていた技ができなくなってしまうことも多い。
「私の場合、この1年で身長は約5cm伸びましたが、大きいセクションができるようになるなど滑るうえではプラスになっています。これ以上大きくなると重心が上がって軸がブレそうなので、今くらいがいいかも……(笑)。まずはこれから出る大会でも、最後まで笑顔で楽しく滑って、結果として表彰台に乗れたらいいなと思います。
試合以外でいうと、海外でもパート撮影をしたいなと思います。いつかLAのハリウッドハイスクールの16段ダウンレールに挑戦したいと思っています。そして将来は堀米雄斗選手のように海外でもっと活躍するようになりたいです。いつかは海外拠点もあるかもしれませんね」とはにかむ。
世界のトップでありながら、自分の実力は発展途上だと話す西矢選手。これからも目が離せない。
街にあるような階段や手すり、スロープを模した構造物を使って技を繰り出すスケートボードの種目。45秒間の自由演技「ラン」を2 回、1つの技だけを披露する「ベストトリック」を5回行い、うち高得点の4回の合計点で競う。
東京オリンピックでの西矢選手は「ラン」終了時点では3位、ベストトリックの前半2回でも調子が上がらず最下位に。気持ちを切り替えて臨んだ3回目に4.15の高得点で5位に上がると、4回目には大技「ビッグスピンボードスライド」で4.66点と高得点をマークして一気にトップへ。そのまま金メダルを獲得した。
西矢椛選手
2007年8月30日生まれ。大阪府出身。ムラサキスポーツ所属。ダイナミックな技と安定した滑りで世界を魅了する14歳のスケートボーダー。2019年に世界最高峰の「Xゲーム」アメリカ大会で準優勝を果たし、2021年には東京オリンピックで新種目としての初代女王、日本史上最年少(13歳10ヶ月)金メダリストとなる。
文:松永敦子
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