2023.04.26
2022.09.04
2022.04.12
これは「幼児期の教育がその人の生涯にとっていかに重要な役割を果たすか」を説いた言葉です。フレーベルは幼稚園を世界で初めて創設し、幼児教育の礎を築いた人物。幼児期の教育によって、生涯における成長の種子が作られる、と考えていました。
フレーベルが大切にしていたのは子供の「創造性」です。「幼児期の遊びは未来の全生活の子葉である」として、人間の発達に幼児期の遊びは重要な意味を持ち、人間の未来の生活は幼児期に源泉を持っていると主張しました。
日本に幼稚園の制度ができたのは明治時代。以来、現在に至るまで幼稚園のほとんどがフレーベルの考え方を基礎としています。
例えばボール遊び、積み木、お遊戯、砂場、鳥や小動物の飼育と触れ合い、母親の家事の手伝い、言葉遊び、学級花壇での花や野菜の栽培など、すべて体系的にフレーベルの著作の中にあるもので、そのためフレーベルは「幼稚園の生みの親」と言われたりします。
今、問題となっているのは、そこから先、小学校への「接続」の仕方・あり方です。体験重視の「幼稚園」から認識重視の小学校教育への移行のギャップは昔から重要な課題となっていたのですが、現代の小学校教育で求められる高いレベルの学習、先端教育、制度設計などで、そのギャップはますます極端化し、それが現代の「小1プロブレム」につながっているのでは? と推測されます。
幼稚園の「遊び」から小学校の「学び」への円滑な接続、このためには制度設計やカリキュラムの微調整ではなく、本質的な人間の成長に関しての哲学が必要なのだろうなと直感します。
「小1プロブレム」についてはさまざまな見解があると思うのですが、一つの側面としては「幼児期を十分生きてこられなかった、幼児期を引きずっている子供が起こす問題」とされており、「子供たちが十分育ちきれないまま学齢期を迎え、その変化に学校が対応しきれないため起きている現象」と捉えられているように思うのです。
しかし、幼虫がサナギになり、サナギが蝶になる。植物が芽を出し、蕾を膨らませ、花が咲く。これは「課題」でも「プロブレム」でもなく、自然な成長の過程です。では、どうやってこの変化を自然に進めていったら良いのでしょうか?
フレーベル自身は幼児教育と小学校教育を接続する「媒介学校」を構想していました。この「媒介」の時期にフレーベルが重視したものの一つに「自然および外界の考察」があります。あるいは身体の訓練、歌うこと、言葉や空間的表現の練習、図画、色の把握、遊戯、お話、遠足などが挙げられます。
親や保護者は幼児期の遊びの重要性を認識して、遊びを通して教育を行わなければならないということです。
この「媒介学校」の基礎は、家庭と学校の結合、家庭生活と学校生活の結合という観点から考えていました。幼児教育と小学校教育の間に「家庭」の役割を位置付けているのですが、これは家庭で「就学準備教育」を、ということではありません。これは幼児の遊びから認識が生まれる成長の過程において、学校制度ではなく、家族の役割を再認識すべし、と言っているわけです。
特に「父性」の役割についてフレーベルは言及しています。幼児教育が母性による教育なのに対して、学校教育が教師による父性による教育なので、子供は引き裂かれるのでは? という視点が提示されています。幼児期における母親の役割が、子供が少年期に近づく頃から、父親の役割が大きくなる。子供は母性の中で安心し、遊び、父性において世界を認識し、学ぶというのです。
これはシュタイナー教育においても同様に捉えられており、シュタイナー学校では1年生の教室の壁の色はピンクにしてあります。まだ乳児の記憶が強い子供たちには子宮内の記憶と繋がるピンク色が安心感を与えます。机や椅子も丸く配置されます。これは母性の空間、子宮のイメージの中で学ぶことを意図しているそうです。成長するとともに教室の色は寒色へと変化して生き、自立した意識を育むように促します。
この母性→父性への移行、遊びから、認識へ。6歳児のステップアップには、父親の存在、あるいは母性から父性へのシームレスな展開が必要なのでは? というのが今回のコラムのポイントでした。
谷崎テトラ(TETRA TANIZAKI)
1964年生まれ。放送作家、音楽プロデユーサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の発信者&コーディネーターとして活動中。シュタイナー教育の教員養成講座も修了。
公式サイト:TANIZAKI TETRA OFFICE
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