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2023.12.12
「魔法の文学館」は、未来を担う子どもたちが児童文学に親しみ、豊かな想像力を育む場となることを目指した文学館だ。館長としてこだわった点を、角野さんは笑顔でこう語った。
「自分で本を読めるようになった子どもたちが、『楽しい!』と思えるような物語を中心に蔵書を選びました。長編だけでなく、1~3年生の子がここで1冊読んで帰れるような、楽しい本をたくさん置いています」。
1万冊の蔵書があるため、チームで選んだという選書の基準は、「主人公がはっきりしていて、楽しいもの、物語性のあるもの。でも図鑑とかお話以外の本も入れています。子どもたちがどんなものを読むかを見ながら、また新しいものを入れていきたい」。
館内の本はあえてランダムに配置され、きっちり分類されていない。それは、「便利にすると、方向性を押し付けることになりかねない」という想いからだという。
「今の子は分刻みでスケジュールが決まっているけど、私が子どもの頃は、ぶらぶら歩いて、ふと虫やお花に気付いて、これなんだろうと想像して、遊んでいるうちに発見があって……という心の動きがあった。そんなふうに本の世界を楽しんでほしい」。
そんな角野さんが子ども時代を過ごしたのは、「魔法の文学館」のある江戸川区。江戸川の土手でよく遊んだという。
「花を摘んで髪飾りを作ったり、土手をごろごろ転がったり、草を結んで友達を転ばせたりしました。それから、川のすぐそばへ行って水をじっと見たり。どこに行くんだろう、私もどこかへ行きたい……そう思っているうちに、だんだん怖くなってきて、慌ててうちに帰ったりね」。
当時は、今のように本がたくさんない時代。わら半紙やカレンダーの裏に落書きをしながら、自分で物語を作ることがよくあった。今でも、絵を描くとセリフが浮かんだりして、絵を描きながら物語を作るという。
「いつも終わりを決めないで書くの。決めたら自分が面白くないでしょう? 自分でも終わりがわからないんだから、読んでる人にもわからないっていうわけ」。そういたずらっぽく笑う角野さんは、先の見えないプロセスを心から楽しんでいる様子だった。
これからの時代も、戦争、気候変動、AIの発展など変化が大きく、先が見えない、答えがないといわれている。パパ・ママは子どもたちをどう育てていったらいいのだろうか。そんなFQ Kids編集部の質問に、角野さんは力をこめてこう答えた。
「日本人1人ひとりが“自分の言葉”を持てるようになってほしい。私の作品は教科書にも載っているから、学校から感想が届くことがあるけれど、みんな決まった用紙で同じような言葉でキレイに書いてくるのね。なぜ白い紙に自由に書いてはいけないの? そこに子どもを押し込めようとしているように感じてしまう。
これからは、自分の言葉を持っていないと生きていけないんじゃないでしょうか。そうしないと、みんなでずるずるっと悪い方に行っちゃう」。
角野さんは1935年生まれ。小学校低学年の頃に戦争を体験した。親や近所の大人たちがずるずると戦争に向かっていく様子を覚えているという。
「だから、自分の心が動くことを、形にはめないこと。1人ひとりが自分の言葉で、自分の命を考えてほしい」。終戦時に10歳だったという角野さんの言葉からは、実感のこもった重みが感じられた。
“自分の言葉”を持つために、児童文学にはどんな役割があるのだろうか。角野さんはこう語ってくれた。
「いろいろなことを自由に想像しながら読んで、1つでも心に言葉が入ってきたら、その子だけの辞書ができる。それが生きた言葉なんですよね。私もものを書くとき、自分の身体の中から出てくる言葉じゃないと書けないんですよ。自分の言葉を増やしていけば、コミュニケーションももっと豊かになる」。
自由な心で、自由に本を楽しみ、自分の言葉にして紡ぐ――そんな角野さんの本との向き合い方が形になった「魔法の文学館」。偶然の出会いや直感的な選び方がしやすいのも、実際の本がたくさん並んだリアルな空間のよさだ。子どもの一生の宝になるような本との出会いがあるかもしれない。ぜひ親子で足を運んでみたい。
角野栄子
1935年東京生まれ。3歳から23歳まで江戸川区北小岩で過ごす。出版社勤務を経て24歳からブラジルに2年間滞在。その体験を元に書いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で1970年作家デビュー。代表作は『魔女の宅急便』シリーズ、『アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ』シリーズ等。2018年、児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞。
文:FQ Kids編集部
FQ Kids VOL.16(2023年秋号)より転載
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