2021.11.18
2022.07.25
2022.09.04
世の中にはマイノリティ(少数派)とマジョリティ(多数派)に分けられることがたくさんある。例えば私は、生まれついた身体で決められた性別は女性だけれど、自分ではその性別(身体)に違和感をもつトランスジェンダーであり、世間的にはマイノリティだ。
でも私のようなトランスジェンダーは他にもいる。1億2千万人以上いる日本人の中で、という視点で見たら少数派だけれど、私の友人関係で、という視点で見ると全く少数派ではない。
だいぶ前の話になるが、LGBT(セクシャルマイノリティ)の仲間たちと4人で、レズビアンの友達がやっているカフェへ行った。その友達は周囲(世間一般)にカミングアウトしていなかったので、その人がレズビアンであることを知っているのは我々だけだった。
そこに、同じくセクシャルマイノリティである知り合いの5人組がたまたま来た。その後、カップルらしき男女2人組が入ってきて、店内には11人のお客さんと、店長、スタッフ2人合わせて14人になった。そのうち私の知る限り、少なくとも10人はLGBTのいずれかに該当する人たちという状況だった。
※イメージ図。店内14名のうち「LGBT」のいずれかとわかっていたのは10名。
他のお客さん、スタッフのことは知らないから本当のところはわからなかったが「異性が好き」で「性別に違和感」がない、いわゆる世間一般では「マジョリティ」側の人たちだと仮定した私たちは【今ここには少なくともセクシャルマイノリティが10人はいる。となると、もはや我々は、この場においてはマイノリティではない】という話題でこっそり盛り上がった(だから我々が正しいということではなく、普段自分たちが否応なしに感じている「マイノリティとマジョリティ」に対するちょっとしたアンチテーゼ的雑談だ)。
あの日あの時、あのカフェにおいて「マイノリティ」と「マジョリティ」は完全に逆転していた。こんなふうに、立場なんて、状況によっていつだって逆転する可能性はある。マジョリティ側にいると思っている(そしてその自覚すらしていない)自分が、マイノリティ側になることもある。
日本にいれば日本人がマジョリティだが、留学した途端マイノリティに変わる。視力が良かった子が、気づいたら視力が落ちていて、眼鏡をかけた途端クラスで少数の「眼鏡をかけている人」というマイノリティになる。性別が明確に「男か女」の2つしかないと言われる世界では、どちらもしっくりこないと感じる人はマイノリティになる。
「多数派が正しい」世界では、多数派以外の意見や立場は無視されやすい。多数決などはまさにそうだ。1位が正解、2位以下は全て不正解の世界。確かに物事を決めるのに多数決は便利な方法だが、多数決の多数派が必ずしも正しいとは限らないこともある。多数決では多種多様な意見の中から、より多くの人たちの意見を反映する結果を選ぶことはできない。
そこで、多数決に代わる決定方法として「ボルダルール」という決め方が考え出された(下表参照)。1位は4点、2位は3点、3位は2点、4位は1点のように、1位以外の意見にも耳を傾ける方法で、多数決より多くの意見が反映されるのだ。例えば、多数決では1位だった意見が、ボルダルールでは1位にならなかったり、多数決では最下位だった意見が、ボルダルールでは1位になることもある。
1位だけが選ばれる多数決では、3人から1位に選ばれたAが採用される。しかし、高橋さんと渡辺さんにとって、Aは最も選びたくなかった選択肢だ。一方、ボルダルールでは、誰も1位には選んでいないものの、5人が2位に選び、渡辺さんも3位に選んだBが採用される。ベストではないが、セカンドベストとしてはAよりも全員の意見を吸い上げた意見に近い。
多数から1位に支持されている選択肢を選ぶのではなく、より多くの人から支持されている選択肢を選ぶことができる点で、多数決よりも、より納得感が高い(もちろん、全員一致で1位に選ばれれば、多数決だろうがボルダルールだろうが1位になることができる)。
一部にとってのベストではなく、みんなにとってのベターを選ぶという考え方は、これからの世界においてとても大切なのではないだろうか。ただし、だからといって、全ての選び方をボルダルールにすればいいという話ではない。多数決もボルダルールもあると知って、選択肢が増えることが大事なのだ。
さまざまな方法を知ると「もしかしたら他にもっといい方法があるんじゃないか」と考えるきっかけになる。思考の幅が広がれば、子供たちの中から、まだこの世にはない新しい決め方を思いつく子が出てくるかもしれない。そうやって可能性はどんどん広がっていくのだ。
マジョリティにとってベストな世界は、マイノリティにとってどこか生きづらい世界だ。初めに書いた通り、マイノリティとマジョリティという立場は流動的で、今マジョリティだと思っている自分も、いつだってマイノリティになる可能性がある。
流動的で誰もがマイノリティになりうるという考え方は、本コラムのテーマになっているLGBTからSOGIへ移行した「LGBTとそうでない人という分断した見方は変えていきましょうよ」という背景につながる。
これまでのLGBTに対しての多様性理解とは、マイノリティに対してマジョリティが寄り添い、助けましょうという考え方がメインだった。まだLGBTという存在すら認識されていなかった頃はそこから始めるしかなかった。
もちろんその時代、そうやってあえて分けることで、マイノリティの困りごとを浮き彫りにして、解消するために動いてきた先人がいるから、今があることも、まだまだ全ての問題が解消したわけではないことも忘れてはならない。
しかし、これだけ情報が溢れ、ジェンダー、セクシャリティに対しての発信を日常的に見聞きする機会が増えた今、子供たちに伝えていくべきは次のステージ。それが「LGBT」から「SOGI」なのだと私は考える。
「マイノリティ」を一部の特殊な人たちの問題ではなく、自分ごととして捉えて、自分も相手も尊重することができる人でいよう。いろんな違いを持つ人がいる世界の中で、全ての人が生きやすい社会を作っていこう。違いはその人の魅力であり、その人らしさを作る大切なものであることを理解しよう。
簡単ではないけれど、日常のさまざまな場面でそんなメッセージを伝えていければ、子供たちの未来はもっと生きやすくなるはずだ。
手始めに、今回ご紹介したボルダルールによる選び方を日常生活に使ってみてはいかがだろうか。自分のベストだけでなく、みんなのセカンドベストを考えてみる。そこから子供たちが何に気づくのか。子供たちの気づきは、私たちにたくさんのことを教えてくれるはずである。
鶴岡そらやす
合同会社Be Brave代表。幼少期を父子家庭で育つ。公立小・中学校で教員として15年勤務し退職。授業をしない自立型学習塾を経営。生徒自身に気づきを促すコーチング力で、主体的に学ぶ姿勢を持った子供たちを育成。2018年、自身がトランスジェンダーであることを公表。企業向け講演や研修、LGBTや不登校などの保護者向けセミナーを行う。著書に「きみは世界でただひとり おやこで話すはじめてのLGBTs」(日本能率協会マネジメントセンター)がある。
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